スーパーダイジェスト 6月 その2

ハレ大聖堂 Dom zu Halle


「大聖堂」と言う名前のつくものは基本、ある一定の役職の宗教家(司教とか)が常駐しているものなんですが、ここの場合はそう言う人はおらず、この辺地区を治めていた権力者(枢機卿)がこの教会の横に住居の一つを建てたので、そう言う名前になったそう。
マルティン・ルターはこの近辺出身で尚かつ活躍もしたこともあって、北ドイツ、東ドイツはプロテスタントが主流。(州の祝日もプロテスタントでのほう)
元々Domと言う名前自体カトリックで建設当時はカトリックだったこともあってそのままですが、そのルターの宗教改革もあってこの大聖堂はプロテスタントです。





ここのオルガンは修復のための寄付を募ってます。


もちろん、ここでもヘンデル音楽祭で毎年コンサートをやっています。(街の至る教会やコンサートホール、劇場などが使われる)
今年は2年ぶりにきた指揮者でガンビストのJordi Savall(ジョルディ・サヴァール)と彼のオケ。
ボヘーと教会の大聖堂について話を聞いていたら、ゲネプロ準備でやって来たサヴァールと遭遇。


裏返った声で「ハロー」と声をかけた小さいアジア人はかなり怪しかったと思われる。。。



スーパーダイジェスト 6月 その1

毎年HalleではHändel-Festspiele(ヘンデル音楽祭)が、隣の街LeipzigのBach-Fest(バッハ音楽祭)の前に行われる。

バッハ音楽祭で必ず「h-moll Messe(ミサ曲 ロ短調)」が演奏されるように、ヘンデル音楽祭も必ず演奏される曲目「Messiah(メサイア)」がある。
多分そんなに音楽好きでなくても、大抵小学校か中学校の時の音楽の授業で耳にしたことがあると思うけど、あの「ハレルヤ」の含まれているオラトリオ。



演奏家が持ち込みでない限り、ヘンデル音楽祭で使用される楽器はヘンデル・ハウスで貸し出し、調律も行います。


一応、調律だったり運搬だったりの予定は組まれているんだけど、予定通りに行くことは稀。
それ以外にも連日、博物館の方は世界各国からやって来たお客さんで大わらわ。
つまり2週間くらいは、うちの工房はカオスで通常通りなのは私だけ。



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そのメインのメサイアに使用する小さいポジティブオルガンの調律は一人でも出来るんだけど、あっち(鍵盤側)こっち(パイプ側)の移動が面倒なのと、膝が痛いってことで調律のお手伝い。



オルガン調律中(動画)
「weiter」と次の音へのかけ声がかかり、慌てて撮影終了。



Marktkirche(マルクトキルヒェ)には主オルガンと呼ばれる大きなオルガンと、コーラス用のオルガンがある。

今メインで使われているHauptorgel(主オルガン)。



Chororgel(コーラス用オルガン)である1664年、Reichel(ライヒェル)作のオルガン。

このオルガンは若きヘンデルも弾いたことがあると言う代物。音は出るらしいけど現役ではありません。
このオルガンは当時のの教会の信者さん(有名な7家族)だけの寄付だけで購入したそう。と言うことで、パイプの下の8つのシールドは、7家族の家紋と街のシンボルが装飾されている。
当時としては結構なお値段なんだけど、それを7家族だけで払いきれてる当時の教会の権力を感じます・・・。ブルブル。




そして私は調律手伝いのご褒美にメサイアのDienstkarte(関係者用ののチケット)をゲット。




こんな仕事でチケットもらえるのなら、いつでもウェルカム!!



スーパーダイジェスト 5月 その3

私の研修担当は、元Orgelbauer(パイプオルガン製作者)でもあります。

彼はHalleの宗教音楽大学で週1・選択1コマ、オルガン講座(勿論、弾く方じゃなくてメカニックなこと)を持っており、実地講座でHalleの教会(Ulrichskirche(ウルリヒス教会))のパイプオルガンの仕組みを説明すると言うことなんで、宗教音楽大学の学生さん6人に混ざって7人目のなんちゃって女子大生(平均年齢大幅に上げている)として参加。





西側にあるバロックオルガンは30年ほど前に機能しなくなったので、その後新しいオルガンを反対側に設置。

今はこっちをメインにコンサートなんかが行われている。


1コマみっちり講義。講義は演奏者向けの知ってておくべきオルガンの仕組みとは言えど、多少オルガンのことも知っているけど・・・な私はちょっとチンプンカンプンになるハプニングも。
いや、レジスターが多過ぎて・・・。イイワケ。



ヤバい。勉強しなきゃ。。。



戦争

戦後、日本に生まれたわたしとしては、戦争は教科書かTVの世界のもののようなイメージがある。



日本は2発の大打撃でもって今後戦争はしないと誓った。
でもあの2つ目の悲劇は本来わたしの生まれた北九州に投下される予定だった。
わたしの祖父母がその時期どこにいたのか正確には知らないが、おそらく近郊であることは間違いない。



もしかして、あの日天気がよかったら。



もしかしてもしかして、わたしは今こんなことを書いている存在ではないのかもしれない。






第2次世界大戦後、教会のパイプオルガンを含め、ヨーロッパでは数多くの楽器が失われている。
世界大戦でなくても戦争で得られるものは、失われるものの比にもならないくらい少ない。
わたしはそう思う。






1943年12月4日の真夜中、Grassi-Museumは一度崩壊した。