ハルバーシュタット大聖堂のパイプオルガンのふいご

前回の更新がすっごい昔ですが、私は元気です。生きてます。

ちょっとせっかくまとめるんだったらと思い、こちらにアップしてみました。

 

 


 

パイプオルガンのふいご

パイプに関してはパンフルートなど起源は紀元前と古く、複数のパイプを演奏するなどすると日本の笙など似たような楽器の存在が世界各地に存在します。

 

複数のパイプを圧力で音を鳴らす方法としては、紀元前後頃のギリシアの数学者でエンジニアのアレクサンドリアのヘロン(~62人没)が書物[1]Pneumatika[2]に書き残している、水圧式の通称「水オルガン」(ドイツ語だとHydraulis, Hydraullos, Hydraulen, Wasserorgelなど)がある。この水圧部分が空気圧に変わったのが今日のパイプオルガンの原理となります。

 

 

今回のテーマはその空気圧をパイプオルガン内部に送るための部品「ふいご」(Balg/Bälge)をピックアップ。

正直、今作業してるレポート行き詰っている時にここの管理人さんからちょっと質問されたことが非常に興味そそる内容だったんで、そっちにシフトチェンジ。(大きい町に住む特典は色んな図書館があるので資料揃いやすい!)

 

質問はこちら。

「プレトリウスの「楽器学大全」[3](郡司先生訳)に出てくるこのパイプオルガンのふいご、そもそも存在したんでしょうか?」

 

syntagma_musicum026

版画26

大きなふいごとカルカント達Calkanten(ふいご踏みの作業をする人)

 

ちなみに版画24、25,26は同じ楽器の部品で、24は手鍵盤のアップ、25は上から第1第2高音鍵盤、次が第3鍵盤、一番下が第4ペダル鍵盤。

 

 

結論としては存在してました。

 

Halberstatdt (ハルバーシュタット、ザクセン=アンハルト州)の大聖堂Dom 、正式名称Dom St. Stephanus und St. Sixtus にあるゴシック式のパイプオルガンがそうです。

現在のオルガン外観

現在のパイプオルガン

最初のパイプオルガンは1357頃から1361年にペダルなしのものをNicolaus Faber(ニコラウス・ファーバー)によって作られ、1495年のGregor Kleng(グレゴア・クレング)に大掛かりな改装で上記の鍵盤やふいごなどが追加されたとされています。これ以降正確な期日は不明ですが、約60年ほど教会の負債などで演奏されていない時期があったらしいですが、プレトリウス本人が1589年からハインリッヒ・ユリウス、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンブッテル公の元、ハルバーシュタットで働き1594年頃からオルガニストとして活躍することになるので、上記挿絵はその頃のものと思われます。そのオルガンの再制作1495年以降からプレトリスの時期までは北側の回廊にオルガンとふいご室があったとされてます。1685年にはリノベーションと称して、ほとんどパイプオルガンの内部は変更され現存はしていません。[4]


 

版画24の手鍵盤の白鍵部分は約6cmあり、元々は引き鍵盤でその他の鍵盤は押すタイプとなる。ペダル鍵盤は現在みたいに足先ではなく膝か手で弾いていたとプレトリウスは書いています。

鍵盤の複製

複製した鍵盤

 

版画26のふいごは20個あり、10人のカルカント達が各2つのふいごを操作。正確なサイズは明記されていないけど、プレトリウス版画に記載されている尺度で計算すると6,50m平行の高さ、ふいごが開く側の幅が5,70m、後方が8mとハルバーシュタットの大聖堂内のふいごがあった部屋には当てはまらない。後方の壁は恐らく後から作られたものと思われるが、プレトリウスが各部品を丁寧に書くあまり多少の尺度のミスが生じている可能性もあるよう。今日の宝物庫の扉は2,32mx0,99m。2,34:1の比率となり、プレトリウスの版画の2,52:1と約18cmの差が生じるが、実際昔は宝物庫へは3段の階段があったとされているのでほぼ正確と言っていい。その尺度で版画の当時(中世)のカルカントは1,60mのがっちりした男性だった模様。毎回演奏のたび、10人来てたのかなどの記述は見つかってません。

1350mm長さ、ふいごのくびれが410mm後ろの稼働する部分の幅は570mm、約190mmほど開く仕組みとなっている。内部は60Lのボリュームで上部は40mmの分厚い板で重さが12kg、ふいごの蛇腹部分になる皮が21kg。カルカントは足で1kgほどの引き上げるハードな仕事になります。0,19mのふいごを踏むとなると13,7mkgとなりは容積は0,06m³(気温などの変化がない条件)で圧力225㎏/m²、オルガン界では水柱ミリメートルで表す用が多いようで225mmとなる。だいたい6秒ごとに踏むふいごを変えていた形となりかなりハード。

なお昔のふいごは重石や鉛の重さ利用していたようですが、カルカントという人力だど音が安定され、このような職業(大体副職として)も19世紀半ばまではあったようです。以降はほとんど送風装置タイプのものが主流となり、専門職のカルカントはいなくなりました。

ちなみにお城などでお抱えのパイプオルガンマイスターが常駐の場合は、練習時カルカントの代わりに常駐のパイプオルガン職人がふいごで空気を送る作業をしていたようです。(ここまで大きなふいごではないと思うけど)

昔聞いた話だけど、あんまりにもハードだから罪人が罪状でふいご踏みみたいなのがあったという話をライプチヒにいた頃、誰かから聞いたことがあるけど、ちょっと資料見たことないし眉唾。

 

1718年にパイプオルガン自体は3弾鍵盤となったけど、プロスペクト(正面)は当初のままバロックオルガンを残してます。以降の改装作業などのリスト。

職人(もしくは会社) 作品番号 変更内容
1718 Heinrich Herbst der Jüngere Neubau(新規製作)
1838 Johann Friedrich Schulze Umbau(改装)
1912 Friedrich Wilhelm Ernst Röver Neubau im alten Gehäuse(外装そのまま内部新規製作)
1942 Palandt & Sohnle Umbau(改装)
1965 Eule Orgelbau 319 Neubau im alten Gehäuse(外装そのまま内部新規製作)
2001 Reinhard Hüfken Verschiedene Tätigkeiten(鍵盤連結装置追加や電力によるメカ化など)

 

ふいごは数が多くて大きいほうがいいのか?

 

もちろんパイプの大きさや数、ストップレジスター(奏者が音色を選んでオンオフすることで空気の流れる音色の違うパイプを選ぶことが出来る。複数ということも可能)でその分必要な風量は変わります。

 

そもそもふいごはオルガンのために発明されたのではなく、まずは製鉄の際に使用開発発展していた経緯があります。

紀元前1世紀のローマの建築家、エンジニア、建築理論者であるVitruv[5]De Architectura(建築について)[6]という書物にブロンズ製の湿気に強いピストンポンプタイプのふいごから始まります。形にしてもヴァルブ付きのものからまずはバグパイプの様な袋タイプ、その後アコーディオンの様な蛇腹タイプへ。素材も皮などから始まるが、この皮にしても馬の筋肉の付いた部分、いや、象、牛、なめし具合が…等々色々試行錯誤があった模様。

ふいごの歴史

製鉄用のふいご(Agricola, Georg : De re metallice, Basel 1556 より)

 

蛇腹タイプは沢山の空気を一度に均等送れるという画期的なものだったが、短所としては、皮部分をネズミなどが齧って破れてしまうとふいごとして全く無意味になってしまうので、3~5年に一回魚の油と雄牛の胆汁や胆礬を混ぜたものを表面に塗るなどして予防をしていたらしい。(効果的だったかは不明)

更に蛇腹の折り目部分の皮は劣化や摩耗で破れやすく、空気漏れなどで長期の使用は非常に難しい。

のちの発明として皮製の蛇腹部分を木の板で組み立て、接続部分のみ皮、もしくは麻、羊皮紙などで接着している以下の様な今日のパターンとなる。[7]

640px-HalberstadtBurchardiChurchBellows

ハルバーシュタットの別の教会のふいご(白い所が皮)

フランスでは蛇腹が4~5つの折り目で大きめに制作されており、それによりたくさんの空気を等しく供給できた。ドイツではこのタイプのふいごは上記のように1つ折りの蛇腹で簡単に作られている。制作も簡単だが、複数の折り目の多いものより皮部分に負担が少なく長期にわたって使用が可能で長持ちした。版画を見る限りハルバーシュタットのものはこのタイプのものだったと思われます。

 

ちなみにフランスのディジョンにあるノートルダム教会のパイプオルガン(1350年制作のものか、その後継の1440年のものかは不明)には最も大きいふいごのだったとされる。これは30mmの分厚い3つ折りの蛇腹タイプで、サイズとしては若干ハルバーシュタットのものより大きかったよう。

数で言うとハルバーシュタットのものは20個あったとされてますが、同じ時期の同じ州のマグデブルクMagdeburg(どの教会かは不明だけど、時期と教会の大きさを考えると恐らく大聖堂)に同じようなサイズのもので24個あり、12人のカルカントでふいごを踏んでいたようです。

ふいご数とカルカントの作業で複数のストップレギスターでミックス音を弾く際でも、空気を均等に送ることが出来たとされますが、歌の伴奏の際、音が大きすぎると歌手からクレームもあったようで、大は小を兼ねるパーフェクトな結果とはならなかったようです。(オルガンはピアノと違って音量調整はできない)

 

と、まあ3,4日空き時間で調べたものなので、読み間違いや勘違いなどあるかもしれません。日本語書く方が時間かかったよ!

パイプオルガンに関しては基本の原理はだいたい何となく知っていますが、鍵盤楽器だからと言っても発音機構がそもそも違いますし、パイプオルガンにも専門の職人さんがピアノ職人と同じようにいます。ということで、専門家の方でミスなど見つけたらコッソリ教えてくれると嬉しいです。(*´ω`*)

 

あ、ちなみにハルバーシュタットはジョン・ケージのあの狂ったプロジェクト(褒めてます)をやっていますが、それはSankt-Burchardi-Kircheという廃教会で20個の大きなふいごのあったこの大聖堂とは別の教会です。

それと隣町のブランケンブルクBlankenburgにある元修道院だった建物を博物館と音楽アカデミー、セミナーなど多目的に使えるミヒャエルシュタイン修道院楽器博物館があります。時々ローラントのお手伝いで行ってましたが、緑の多い所にあり、元修道院らしく薬草庭園があったり、場所も余ってるので数年前に大改装してすごく見やすくて状態のいい楽器も置いてます。ただ!車がないとちょっぴり不便な場所にあるのです。さすが、元修道院。。。でもお勧めです。

 

 

以下脚注です。


[1] Traktatはいい日本語訳が思いつかないので書物と訳してます。論文として書いたつもりではなく、自分用もしくは修道士たち向けに書いた覚書のようなものも含むことがあるので。

主にTraktatとは手書きの一次文献(Primärliteratur)、原文稿となり、これ以降引用したものは二次、三次文献(Seknndär- Teritärliteratur)となり、一次文献の信用性は原本が残っていれば証明できるので絶大。二次、三次文献は、写し書きもしくは引用、又聞きetcとなり、書き損じ、聞き間違いなども含まれる可能性があることを考慮しないといけません。(厳格な区分ですが、論文を書く上では非常に重要となります)

[2] この書物のタイトルの通り空圧をメインに、蒸気圧、水圧などの圧力関係の機械について書かれている。

[3] プレトリウス(1571‐1621)の音楽大全II(初版1619年)

Praetorius, Michael: Syntagma musicum, Band 2 -De Organographia-, Wolfenbüttel 1619.

プレトリウス自身この地域(中央から東部ドイツ)で出生、活躍したので、楽器もこの辺のものが特に多いと思われます。

[4] アンドレアス・ヴェルクマイスター(1645-1705)の高度に改良したオルガン練習法(1698年刊行)

Werckmeister, Andreas: Erweiterte und verbesserte Orgel-Probe. Quedlinburg 1698.

彼は音楽理論家として有名で、ヴェルクマイスター調律法を記述した。ハルバーシュタットのマルティン教会のオルガニストとしても活躍した。

[5] Vitruv(ウィトルウィウスと日本語では訳してるが、どいつごだとヴィトルフに近い)もっぱら建築理論家としてのイメージが強い。建築家としてはあまり成功しなかったよう。

[6] ギリシアの柱の種類(ドリス、イオニア、コリント式)を明確化した他、当時の建築様式について詳しく説明がされており、エンジニアらしく水車についても論じている。

[7] Spanbälge といい、1419年英国ヨーク州ミュンスターで最古の利用が証明されている。なお、ドイツではプレトリウスが1520-1530年頃に紹介しているが、それより90年ほど前にはあった模様。

 

参考資料:

ミヒァエル・プレトリウス著 ; 郡司すみ訳・註:音楽大全 II、東京 2000.

Bormann, Karl: Die gotische Orgel zu Halberstadt. Berlin 1966.

 

インターネット資料:
ハルバーシュタット大聖堂のオルガン(ドイツ語)

オルガンデータバンク(オランダ語)

プレトリウス:音楽大全 II(日本語、24~26の挿絵部分のみ)
ジョン・ケージ:オルガン2/ASLSP(日本語)

 

 

スーパーダイジェスト 6月 その2

ハレ大聖堂 Dom zu Halle


「大聖堂」と言う名前のつくものは基本、ある一定の役職の宗教家(司教とか)が常駐しているものなんですが、ここの場合はそう言う人はおらず、この辺地区を治めていた権力者(枢機卿)がこの教会の横に住居の一つを建てたので、そう言う名前になったそう。
マルティン・ルターはこの近辺出身で尚かつ活躍もしたこともあって、北ドイツ、東ドイツはプロテスタントが主流。(州の祝日もプロテスタントでのほう)
元々Domと言う名前自体カトリックで建設当時はカトリックだったこともあってそのままですが、そのルターの宗教改革もあってこの大聖堂はプロテスタントです。





ここのオルガンは修復のための寄付を募ってます。


もちろん、ここでもヘンデル音楽祭で毎年コンサートをやっています。(街の至る教会やコンサートホール、劇場などが使われる)
今年は2年ぶりにきた指揮者でガンビストのJordi Savall(ジョルディ・サヴァール)と彼のオケ。
ボヘーと教会の大聖堂について話を聞いていたら、ゲネプロ準備でやって来たサヴァールと遭遇。


裏返った声で「ハロー」と声をかけた小さいアジア人はかなり怪しかったと思われる。。。



スーパーダイジェスト 6月 その1

毎年HalleではHändel-Festspiele(ヘンデル音楽祭)が、隣の街LeipzigのBach-Fest(バッハ音楽祭)の前に行われる。

バッハ音楽祭で必ず「h-moll Messe(ミサ曲 ロ短調)」が演奏されるように、ヘンデル音楽祭も必ず演奏される曲目「Messiah(メサイア)」がある。
多分そんなに音楽好きでなくても、大抵小学校か中学校の時の音楽の授業で耳にしたことがあると思うけど、あの「ハレルヤ」の含まれているオラトリオ。



演奏家が持ち込みでない限り、ヘンデル音楽祭で使用される楽器はヘンデル・ハウスで貸し出し、調律も行います。


一応、調律だったり運搬だったりの予定は組まれているんだけど、予定通りに行くことは稀。
それ以外にも連日、博物館の方は世界各国からやって来たお客さんで大わらわ。
つまり2週間くらいは、うちの工房はカオスで通常通りなのは私だけ。



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そのメインのメサイアに使用する小さいポジティブオルガンの調律は一人でも出来るんだけど、あっち(鍵盤側)こっち(パイプ側)の移動が面倒なのと、膝が痛いってことで調律のお手伝い。



オルガン調律中(動画)
「weiter」と次の音へのかけ声がかかり、慌てて撮影終了。



Marktkirche(マルクトキルヒェ)には主オルガンと呼ばれる大きなオルガンと、コーラス用のオルガンがある。

今メインで使われているHauptorgel(主オルガン)。



Chororgel(コーラス用オルガン)である1664年、Reichel(ライヒェル)作のオルガン。

このオルガンは若きヘンデルも弾いたことがあると言う代物。音は出るらしいけど現役ではありません。
このオルガンは当時のの教会の信者さん(有名な7家族)だけの寄付だけで購入したそう。と言うことで、パイプの下の8つのシールドは、7家族の家紋と街のシンボルが装飾されている。
当時としては結構なお値段なんだけど、それを7家族だけで払いきれてる当時の教会の権力を感じます・・・。ブルブル。




そして私は調律手伝いのご褒美にメサイアのDienstkarte(関係者用ののチケット)をゲット。




こんな仕事でチケットもらえるのなら、いつでもウェルカム!!



スーパーダイジェスト 5月 その3

私の研修担当は、元Orgelbauer(パイプオルガン製作者)でもあります。

彼はHalleの宗教音楽大学で週1・選択1コマ、オルガン講座(勿論、弾く方じゃなくてメカニックなこと)を持っており、実地講座でHalleの教会(Ulrichskirche(ウルリヒス教会))のパイプオルガンの仕組みを説明すると言うことなんで、宗教音楽大学の学生さん6人に混ざって7人目のなんちゃって女子大生(平均年齢大幅に上げている)として参加。





西側にあるバロックオルガンは30年ほど前に機能しなくなったので、その後新しいオルガンを反対側に設置。

今はこっちをメインにコンサートなんかが行われている。


1コマみっちり講義。講義は演奏者向けの知ってておくべきオルガンの仕組みとは言えど、多少オルガンのことも知っているけど・・・な私はちょっとチンプンカンプンになるハプニングも。
いや、レジスターが多過ぎて・・・。イイワケ。



ヤバい。勉強しなきゃ。。。



戦争

戦後、日本に生まれたわたしとしては、戦争は教科書かTVの世界のもののようなイメージがある。



日本は2発の大打撃でもって今後戦争はしないと誓った。
でもあの2つ目の悲劇は本来わたしの生まれた北九州に投下される予定だった。
わたしの祖父母がその時期どこにいたのか正確には知らないが、おそらく近郊であることは間違いない。



もしかして、あの日天気がよかったら。



もしかしてもしかして、わたしは今こんなことを書いている存在ではないのかもしれない。






第2次世界大戦後、教会のパイプオルガンを含め、ヨーロッパでは数多くの楽器が失われている。
世界大戦でなくても戦争で得られるものは、失われるものの比にもならないくらい少ない。
わたしはそう思う。






1943年12月4日の真夜中、Grassi-Museumは一度崩壊した。