ハルバーシュタット大聖堂のパイプオルガンのふいご

前回の更新がすっごい昔ですが、私は元気です。生きてます。

ちょっとせっかくまとめるんだったらと思い、こちらにアップしてみました。

 

 


 

パイプオルガンのふいご

パイプに関してはパンフルートなど起源は紀元前と古く、複数のパイプを演奏するなどすると日本の笙など似たような楽器の存在が世界各地に存在します。

 

複数のパイプを圧力で音を鳴らす方法としては、紀元前後頃のギリシアの数学者でエンジニアのアレクサンドリアのヘロン(~62人没)が書物[1]Pneumatika[2]に書き残している、水圧式の通称「水オルガン」(ドイツ語だとHydraulis, Hydraullos, Hydraulen, Wasserorgelなど)がある。この水圧部分が空気圧に変わったのが今日のパイプオルガンの原理となります。

 

 

今回のテーマはその空気圧をパイプオルガン内部に送るための部品「ふいご」(Balg/Bälge)をピックアップ。

正直、今作業してるレポート行き詰っている時にここの管理人さんからちょっと質問されたことが非常に興味そそる内容だったんで、そっちにシフトチェンジ。(大きい町に住む特典は色んな図書館があるので資料揃いやすい!)

 

質問はこちら。

「プレトリウスの「楽器学大全」[3](郡司先生訳)に出てくるこのパイプオルガンのふいご、そもそも存在したんでしょうか?」

 

syntagma_musicum026

版画26

大きなふいごとカルカント達Calkanten(ふいご踏みの作業をする人)

 

ちなみに版画24、25,26は同じ楽器の部品で、24は手鍵盤のアップ、25は上から第1第2高音鍵盤、次が第3鍵盤、一番下が第4ペダル鍵盤。

 

 

結論としては存在してました。

 

Halberstatdt (ハルバーシュタット、ザクセン=アンハルト州)の大聖堂Dom 、正式名称Dom St. Stephanus und St. Sixtus にあるゴシック式のパイプオルガンがそうです。

現在のオルガン外観

現在のパイプオルガン

最初のパイプオルガンは1357頃から1361年にペダルなしのものをNicolaus Faber(ニコラウス・ファーバー)によって作られ、1495年のGregor Kleng(グレゴア・クレング)に大掛かりな改装で上記の鍵盤やふいごなどが追加されたとされています。これ以降正確な期日は不明ですが、約60年ほど教会の負債などで演奏されていない時期があったらしいですが、プレトリウス本人が1589年からハインリッヒ・ユリウス、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンブッテル公の元、ハルバーシュタットで働き1594年頃からオルガニストとして活躍することになるので、上記挿絵はその頃のものと思われます。そのオルガンの再制作1495年以降からプレトリスの時期までは北側の回廊にオルガンとふいご室があったとされてます。1685年にはリノベーションと称して、ほとんどパイプオルガンの内部は変更され現存はしていません。[4]


 

版画24の手鍵盤の白鍵部分は約6cmあり、元々は引き鍵盤でその他の鍵盤は押すタイプとなる。ペダル鍵盤は現在みたいに足先ではなく膝か手で弾いていたとプレトリウスは書いています。

鍵盤の複製

複製した鍵盤

 

版画26のふいごは20個あり、10人のカルカント達が各2つのふいごを操作。正確なサイズは明記されていないけど、プレトリウス版画に記載されている尺度で計算すると6,50m平行の高さ、ふいごが開く側の幅が5,70m、後方が8mとハルバーシュタットの大聖堂内のふいごがあった部屋には当てはまらない。後方の壁は恐らく後から作られたものと思われるが、プレトリウスが各部品を丁寧に書くあまり多少の尺度のミスが生じている可能性もあるよう。今日の宝物庫の扉は2,32mx0,99m。2,34:1の比率となり、プレトリウスの版画の2,52:1と約18cmの差が生じるが、実際昔は宝物庫へは3段の階段があったとされているのでほぼ正確と言っていい。その尺度で版画の当時(中世)のカルカントは1,60mのがっちりした男性だった模様。毎回演奏のたび、10人来てたのかなどの記述は見つかってません。

1350mm長さ、ふいごのくびれが410mm後ろの稼働する部分の幅は570mm、約190mmほど開く仕組みとなっている。内部は60Lのボリュームで上部は40mmの分厚い板で重さが12kg、ふいごの蛇腹部分になる皮が21kg。カルカントは足で1kgほどの引き上げるハードな仕事になります。0,19mのふいごを踏むとなると13,7mkgとなりは容積は0,06m³(気温などの変化がない条件)で圧力225㎏/m²、オルガン界では水柱ミリメートルで表す用が多いようで225mmとなる。だいたい6秒ごとに踏むふいごを変えていた形となりかなりハード。

なお昔のふいごは重石や鉛の重さ利用していたようですが、カルカントという人力だど音が安定され、このような職業(大体副職として)も19世紀半ばまではあったようです。以降はほとんど送風装置タイプのものが主流となり、専門職のカルカントはいなくなりました。

ちなみにお城などでお抱えのパイプオルガンマイスターが常駐の場合は、練習時カルカントの代わりに常駐のパイプオルガン職人がふいごで空気を送る作業をしていたようです。(ここまで大きなふいごではないと思うけど)

昔聞いた話だけど、あんまりにもハードだから罪人が罪状でふいご踏みみたいなのがあったという話をライプチヒにいた頃、誰かから聞いたことがあるけど、ちょっと資料見たことないし眉唾。

 

1718年にパイプオルガン自体は3弾鍵盤となったけど、プロスペクト(正面)は当初のままバロックオルガンを残してます。以降の改装作業などのリスト。

職人(もしくは会社) 作品番号 変更内容
1718 Heinrich Herbst der Jüngere Neubau(新規製作)
1838 Johann Friedrich Schulze Umbau(改装)
1912 Friedrich Wilhelm Ernst Röver Neubau im alten Gehäuse(外装そのまま内部新規製作)
1942 Palandt & Sohnle Umbau(改装)
1965 Eule Orgelbau 319 Neubau im alten Gehäuse(外装そのまま内部新規製作)
2001 Reinhard Hüfken Verschiedene Tätigkeiten(鍵盤連結装置追加や電力によるメカ化など)

 

ふいごは数が多くて大きいほうがいいのか?

 

もちろんパイプの大きさや数、ストップレジスター(奏者が音色を選んでオンオフすることで空気の流れる音色の違うパイプを選ぶことが出来る。複数ということも可能)でその分必要な風量は変わります。

 

そもそもふいごはオルガンのために発明されたのではなく、まずは製鉄の際に使用開発発展していた経緯があります。

紀元前1世紀のローマの建築家、エンジニア、建築理論者であるVitruv[5]De Architectura(建築について)[6]という書物にブロンズ製の湿気に強いピストンポンプタイプのふいごから始まります。形にしてもヴァルブ付きのものからまずはバグパイプの様な袋タイプ、その後アコーディオンの様な蛇腹タイプへ。素材も皮などから始まるが、この皮にしても馬の筋肉の付いた部分、いや、象、牛、なめし具合が…等々色々試行錯誤があった模様。

ふいごの歴史

製鉄用のふいご(Agricola, Georg : De re metallice, Basel 1556 より)

 

蛇腹タイプは沢山の空気を一度に均等送れるという画期的なものだったが、短所としては、皮部分をネズミなどが齧って破れてしまうとふいごとして全く無意味になってしまうので、3~5年に一回魚の油と雄牛の胆汁や胆礬を混ぜたものを表面に塗るなどして予防をしていたらしい。(効果的だったかは不明)

更に蛇腹の折り目部分の皮は劣化や摩耗で破れやすく、空気漏れなどで長期の使用は非常に難しい。

のちの発明として皮製の蛇腹部分を木の板で組み立て、接続部分のみ皮、もしくは麻、羊皮紙などで接着している以下の様な今日のパターンとなる。[7]

640px-HalberstadtBurchardiChurchBellows

ハルバーシュタットの別の教会のふいご(白い所が皮)

フランスでは蛇腹が4~5つの折り目で大きめに制作されており、それによりたくさんの空気を等しく供給できた。ドイツではこのタイプのふいごは上記のように1つ折りの蛇腹で簡単に作られている。制作も簡単だが、複数の折り目の多いものより皮部分に負担が少なく長期にわたって使用が可能で長持ちした。版画を見る限りハルバーシュタットのものはこのタイプのものだったと思われます。

 

ちなみにフランスのディジョンにあるノートルダム教会のパイプオルガン(1350年制作のものか、その後継の1440年のものかは不明)には最も大きいふいごのだったとされる。これは30mmの分厚い3つ折りの蛇腹タイプで、サイズとしては若干ハルバーシュタットのものより大きかったよう。

数で言うとハルバーシュタットのものは20個あったとされてますが、同じ時期の同じ州のマグデブルクMagdeburg(どの教会かは不明だけど、時期と教会の大きさを考えると恐らく大聖堂)に同じようなサイズのもので24個あり、12人のカルカントでふいごを踏んでいたようです。

ふいご数とカルカントの作業で複数のストップレギスターでミックス音を弾く際でも、空気を均等に送ることが出来たとされますが、歌の伴奏の際、音が大きすぎると歌手からクレームもあったようで、大は小を兼ねるパーフェクトな結果とはならなかったようです。(オルガンはピアノと違って音量調整はできない)

 

と、まあ3,4日空き時間で調べたものなので、読み間違いや勘違いなどあるかもしれません。日本語書く方が時間かかったよ!

パイプオルガンに関しては基本の原理はだいたい何となく知っていますが、鍵盤楽器だからと言っても発音機構がそもそも違いますし、パイプオルガンにも専門の職人さんがピアノ職人と同じようにいます。ということで、専門家の方でミスなど見つけたらコッソリ教えてくれると嬉しいです。(*´ω`*)

 

あ、ちなみにハルバーシュタットはジョン・ケージのあの狂ったプロジェクト(褒めてます)をやっていますが、それはSankt-Burchardi-Kircheという廃教会で20個の大きなふいごのあったこの大聖堂とは別の教会です。

それと隣町のブランケンブルクBlankenburgにある元修道院だった建物を博物館と音楽アカデミー、セミナーなど多目的に使えるミヒャエルシュタイン修道院楽器博物館があります。時々ローラントのお手伝いで行ってましたが、緑の多い所にあり、元修道院らしく薬草庭園があったり、場所も余ってるので数年前に大改装してすごく見やすくて状態のいい楽器も置いてます。ただ!車がないとちょっぴり不便な場所にあるのです。さすが、元修道院。。。でもお勧めです。

 

 

以下脚注です。


[1] Traktatはいい日本語訳が思いつかないので書物と訳してます。論文として書いたつもりではなく、自分用もしくは修道士たち向けに書いた覚書のようなものも含むことがあるので。

主にTraktatとは手書きの一次文献(Primärliteratur)、原文稿となり、これ以降引用したものは二次、三次文献(Seknndär- Teritärliteratur)となり、一次文献の信用性は原本が残っていれば証明できるので絶大。二次、三次文献は、写し書きもしくは引用、又聞きetcとなり、書き損じ、聞き間違いなども含まれる可能性があることを考慮しないといけません。(厳格な区分ですが、論文を書く上では非常に重要となります)

[2] この書物のタイトルの通り空圧をメインに、蒸気圧、水圧などの圧力関係の機械について書かれている。

[3] プレトリウス(1571‐1621)の音楽大全II(初版1619年)

Praetorius, Michael: Syntagma musicum, Band 2 -De Organographia-, Wolfenbüttel 1619.

プレトリウス自身この地域(中央から東部ドイツ)で出生、活躍したので、楽器もこの辺のものが特に多いと思われます。

[4] アンドレアス・ヴェルクマイスター(1645-1705)の高度に改良したオルガン練習法(1698年刊行)

Werckmeister, Andreas: Erweiterte und verbesserte Orgel-Probe. Quedlinburg 1698.

彼は音楽理論家として有名で、ヴェルクマイスター調律法を記述した。ハルバーシュタットのマルティン教会のオルガニストとしても活躍した。

[5] Vitruv(ウィトルウィウスと日本語では訳してるが、どいつごだとヴィトルフに近い)もっぱら建築理論家としてのイメージが強い。建築家としてはあまり成功しなかったよう。

[6] ギリシアの柱の種類(ドリス、イオニア、コリント式)を明確化した他、当時の建築様式について詳しく説明がされており、エンジニアらしく水車についても論じている。

[7] Spanbälge といい、1419年英国ヨーク州ミュンスターで最古の利用が証明されている。なお、ドイツではプレトリウスが1520-1530年頃に紹介しているが、それより90年ほど前にはあった模様。

 

参考資料:

ミヒァエル・プレトリウス著 ; 郡司すみ訳・註:音楽大全 II、東京 2000.

Bormann, Karl: Die gotische Orgel zu Halberstadt. Berlin 1966.

 

インターネット資料:
ハルバーシュタット大聖堂のオルガン(ドイツ語)

オルガンデータバンク(オランダ語)

プレトリウス:音楽大全 II(日本語、24~26の挿絵部分のみ)
ジョン・ケージ:オルガン2/ASLSP(日本語)

 

 

マイニンゲン博物館

最近、抜き打ちかのように頻繁に実家からスカイプがかかってきますけど、話のネタがもう4回くらい聞いたことあるのがだいぶんあるんですよ、母さん。 (その都度言っていると思いますが)

 

弟が長期出張で家を空けてると分かりやすい。 そんな彼女は増税前に移動用テレビ(そこそこ大きいけど持ち運びができる)を買って、色んな家事を見ながらやっているらしい。 それに飽きると私の出番らしい。

 

 

エナちゃん、いっつも家におるねー。

 

 

すいませんね、自宅警備員として多忙なもので。

すごい都合のいい女にされてる感が、半端ないので今週末は出かけました。

 

 

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それだけが理由ではないけれど、今年に入って久しぶり(多分2回目?)くらいに市外に出ました。

久しぶりの遠出すぎてドキがムネムネして電車で吐くかと思いました。(片道2時間半)

 

行き先はMeiningen(マイニンゲン)のマイニンゲン博物館

場所はギリ何とかチューリンゲン州ですが、フランケン地方となります。

昔はザクセン=マイニンゲン公国のお城でしたが今は博物館として、当時20世紀初期まで使用されていた当時の公爵の各お部屋や持ち物が展示されています。

 

wikiから

写真撮り忘れたのでwikiから転載

 

公爵家の人たちは芸術や音楽にも関心が深かったらしく、沢山の楽器も所有されてます。

まぁ、楽器が絡んでなければ週末自宅警備員の重い腰は上がりません、よね。

 

 

前に作業していた振り子時計のハープ部分の作業も終わり、報告書も提出準備ができているので、次の担当楽器、ドイツ語だとSpitzharfe(シュピッツハルフェ)、イタリア語だとarpanetta(アルパネッタ)への作業開始となりました。

日本語にすると「シュピッツハープ」とか訳されているように、一応ハープ族になるのでしょうが、響板が付いておりチェンバロのメカニック部分がない状態で両面に弦が張られている感じの楽器です。

 

担当楽器が別ウインドウで開きます

 

 

上のリンクの写真(多分1920年代に撮った写真)よりだいぶん欠損や傷みが激しいので、とりあえず比較楽器で資料や写真集めです。 この楽器自体、正確には分かりませんが世界にも10台(この助数詞があってるのか分からないけど)前後しかないので、イメージがわきません。

 

マイニンゲン博物館には2つシュピッツハルフェがあるのですが、そのうちの1つが写りの悪い写真を見る限り少し形状が似ているので、確認に。 修復作業をした人は知っている人なので、共通点が多いのなら資料協力お願いしなければと思いましたが、その必要はない感じの結果でした。 一応、特徴などを書き出しておいてますが、よくあることです。 こうやって少しずつ可能性を消していくわけですけど、少なからずこの楽器についての前知識がさっぱりだったので少し修復作業完了のイメージが持てました。

 

楽器展示してる部屋

楽器展示してる部屋

 

用事がすんだら、すごい小さな町ですが駅前に綺麗な公園もあったし、持ってきてたオニギリ食べながら散歩でもしようかと思ってたのに、2時間半ほど博物館に居座っている間に見事な雷雨に。

 

 

これだから外出は嫌だったんだ!!

 

 

見事な濡れマウス。
引きこもりが、たまに外に出るとこうなる。

 

 

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日曜は引きこもり、 もとい、自宅警備員らしく最近中古で見つけた旧東時代の専門書を読んでたら、 同じ製作者が出てきて叫ぶ。 ビックリしすぎて急に立ち上がって膝を棚の角に強打。

 

あべし!でも、こんなところに!!

 

制作年代も場所も、なんとなーく怪しく、とりあえず直接は関係ないけど何となく感が働いてクリストフォリ(現代のピアノの基礎を発明した人。個人的に通称、神と呼んでる)の調査書を流し読みしてたら、何か見知ってる部品発見・・・ 待って待って!!!

 

これは、

 

月曜に

 

要確認です。(落ち着いて)

 

 

はー、興奮しすぎて、ドキがムネムネ!!

 

 

吐きそう!!

 

 

ん。何か違う。

 

 

 

 

これ風邪だ。

 

 

スーパーダイジェスト 6月 その3

Halleから南西へ20kmほど行ったところにBad Lauchstädt(バート・ラウフシュテット)という小さな街がある。

街の名前に「Bad」がつくものは大抵Kurort(クアオルト・保養地)の場合が多い。(昔はそうだったけど、今は違うと言うパターンもある)
ここも例に漏れず、保養地の一つ。
ちょっと年齢層の高い人がツアーで来てる感じがするが、それだけがメインではない。


Goethe-Theater(ゲーテ劇場)と呼ばれる、かの有名なゲーテがワイマール劇場トップディレクターの時に買い取り、夏シーズンに定期的に演劇が催されそう。(昔の貴族は夏の避暑にこう言う保養地に訪れる)
ただ劇場の設備に不満足だったゲーテが、宮廷建築家とかの協力を得て建直したものが、オリジナル(しかも現役!)でこの街に残っている。


ゲーテ時代のなので、舞台の大きさも客席の大きさも非常にコンパクト。
(狭いながらも、ちゃんとオケピもある)

しかし、ここの舞台装置はすごい。
まず、これ。舞台上の四角い切り抜き。
現代じゃ割と普通だけど。上下可動式の登場装置。


しかし、勿論ここはゲーテ劇場。1800年頃の代物ですから、床下は・・・・

人力!!!




勿論、シーンはずっと1つの場面じゃつまらない。けれど、シーンごとに暗幕降ろして総入れ替えしてたら雰囲気ぶちこわし!
でもさすが。舞台際を見るとスライド式で、3シーン背景早変わり!


しかし、勿論ここは(以下略)
床下ではこんな努力が行われている。




舞台装置もすごいけど、入り口にあるチケット販売窓口も工夫がされている。
1800年代当時はTaler(ターラー)と言う単位のお金が流通していたが、3つのコインが素早く分けやすく、チケットが買いやすい。




勿論今はユーロですから、活用さているかは分かりませんが。




ここはヘンデル音楽祭の際、オペラ上映をしています。ちょっと公共交通機関は不便なんで、ハレの中心部からシャトルバスに乗って見に行くんですが、さすがに小さな劇場なんで、毎年気がついた時にはチケットが完売してます。
私は去年も今年もアウトでした。(基本館内がヘンデル音楽祭仕様になり始めてから動き出すので)


興味がある方はチケット販売開始時期、要チェックです!
もちろん、それ以外の時期も何かしら上映してます。→Goethe-Theater



今回は例のごとく金魚の糞でついてきてたのですが、思いのほか裏方さんも愉快な人が多くて、踊ってて良いよーなんて言われても・・・

でも200年前でもこのクオリティ。舞台装置も含み、修復・保存しつつも大事に使われている感じがした。




スーパーダイジェスト 6月 その2

ハレ大聖堂 Dom zu Halle


「大聖堂」と言う名前のつくものは基本、ある一定の役職の宗教家(司教とか)が常駐しているものなんですが、ここの場合はそう言う人はおらず、この辺地区を治めていた権力者(枢機卿)がこの教会の横に住居の一つを建てたので、そう言う名前になったそう。
マルティン・ルターはこの近辺出身で尚かつ活躍もしたこともあって、北ドイツ、東ドイツはプロテスタントが主流。(州の祝日もプロテスタントでのほう)
元々Domと言う名前自体カトリックで建設当時はカトリックだったこともあってそのままですが、そのルターの宗教改革もあってこの大聖堂はプロテスタントです。





ここのオルガンは修復のための寄付を募ってます。


もちろん、ここでもヘンデル音楽祭で毎年コンサートをやっています。(街の至る教会やコンサートホール、劇場などが使われる)
今年は2年ぶりにきた指揮者でガンビストのJordi Savall(ジョルディ・サヴァール)と彼のオケ。
ボヘーと教会の大聖堂について話を聞いていたら、ゲネプロ準備でやって来たサヴァールと遭遇。


裏返った声で「ハロー」と声をかけた小さいアジア人はかなり怪しかったと思われる。。。



スーパーダイジェスト 6月 その1

毎年HalleではHändel-Festspiele(ヘンデル音楽祭)が、隣の街LeipzigのBach-Fest(バッハ音楽祭)の前に行われる。

バッハ音楽祭で必ず「h-moll Messe(ミサ曲 ロ短調)」が演奏されるように、ヘンデル音楽祭も必ず演奏される曲目「Messiah(メサイア)」がある。
多分そんなに音楽好きでなくても、大抵小学校か中学校の時の音楽の授業で耳にしたことがあると思うけど、あの「ハレルヤ」の含まれているオラトリオ。



演奏家が持ち込みでない限り、ヘンデル音楽祭で使用される楽器はヘンデル・ハウスで貸し出し、調律も行います。


一応、調律だったり運搬だったりの予定は組まれているんだけど、予定通りに行くことは稀。
それ以外にも連日、博物館の方は世界各国からやって来たお客さんで大わらわ。
つまり2週間くらいは、うちの工房はカオスで通常通りなのは私だけ。



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そのメインのメサイアに使用する小さいポジティブオルガンの調律は一人でも出来るんだけど、あっち(鍵盤側)こっち(パイプ側)の移動が面倒なのと、膝が痛いってことで調律のお手伝い。



オルガン調律中(動画)
「weiter」と次の音へのかけ声がかかり、慌てて撮影終了。



Marktkirche(マルクトキルヒェ)には主オルガンと呼ばれる大きなオルガンと、コーラス用のオルガンがある。

今メインで使われているHauptorgel(主オルガン)。



Chororgel(コーラス用オルガン)である1664年、Reichel(ライヒェル)作のオルガン。

このオルガンは若きヘンデルも弾いたことがあると言う代物。音は出るらしいけど現役ではありません。
このオルガンは当時のの教会の信者さん(有名な7家族)だけの寄付だけで購入したそう。と言うことで、パイプの下の8つのシールドは、7家族の家紋と街のシンボルが装飾されている。
当時としては結構なお値段なんだけど、それを7家族だけで払いきれてる当時の教会の権力を感じます・・・。ブルブル。




そして私は調律手伝いのご褒美にメサイアのDienstkarte(関係者用ののチケット)をゲット。




こんな仕事でチケットもらえるのなら、いつでもウェルカム!!



スーパーダイジェスト 5月 その1

バウハウスで有名なDessau(デッサウ)と言う街の隣街にSchloß Wörlitz(ベルリッツ城)と言うところがある。

ここの広大な庭園は世界遺産でもある。


観光じゃありません。
が。私の研修担当の仕事の関係でくっついて行きました。
結果、城内様々な特権でウロウロ出来、ほくほく。


残念ながら天気はすごく悪かったので、世界遺産の庭園はほとんど見れなかったけど、いつかリベンジ。

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コンサートの調律(の金魚の糞)で入ったお城はちょうど修復中だけど、大部分が終わりかけているので勿論一般の方も見学出来る。

その日に使われる4本ペダルのハンマーフリューゲル(ピアノの前身)はこのお城の主であったアンハルト・デッサウ候(何代目か忘れた)がウィーンの製作者に注文し配達させ、本当に使っていたもので、お城が廃墟になった時もそのまま放置されていたらしい。ちゃんと請求書とかが残っているから驚き。
意外にお城は楽器の倉庫代わりとしては温度・湿度にも適しているので、このハンマーフリューゲルはかなりいい状態で、演奏可能。

他にももう1台、ウィーン式の5本足ハンマーフリューゲルがあるが、こっちはいつからあるのかは不明。
こちらは音は鳴るけど、演奏には耐えれるか微妙。お城の中の音楽室に展示されてます。



私が行った日がちょうどコンサートのオープニングセレモニーで、大盛況。





私もおこぼれにあずかって、後ろの角っこに座らせてもらい、休憩中に振る舞われたシャンパンをここぞとばかりにがぶ飲む。イヤ、その日は本当に寒かった・・・からさ、アルコールで温めないと・・・!汗


ハンマーフリューゲルの演奏は微妙でしたが、歌とバロックリコーダーの演奏はとても綺麗でした。


このお城については色々と聞いたので、次の機会に詳しく。




追記;コンサート

ビーバーネタを書いたあとにビーバーを書くのはわざとではないんですが。
(ビーバー違いです)


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Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644−1704
(ハインリヒ・イグナーツ・フランツ・フォン・ビーバー)
かの有名なバッハと同じくバロック時代に活躍した、チェコ(当時のボヘミア)生まれの作曲家でヴァイオリニスト。
しかしバッハよりも40年ほど前に産まれているし、活躍したのはオーストリア・ザルツブルク。


先日聞いたコンサートはこのビーバー作曲の「Rosenkranz-Sonaten」(ロザリオのソナタ)をヘンデル・ハウス所蔵のヴァイオリンを使って、Theorbe(テオルボ/ボディはリュートっぽいけどネックが凄く長い通奏低音楽器)とチェンバロとポジティフ・オルガンとのもの。
Händel-Haus では毎回ではないけれど、時々所蔵楽器をコンサート+解説付きで行っている。


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ヴァイオリンは楽器製作(現在は特に金管とアコーディオン)とウィンタースポーツで有名なザクセン州のKlingenthal (クリンゲンタール)と言うチェコとの国境沿いの街で、1781年、Friedrich Wilhelm Meisel(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・マイセル)が製作したもの。


特記すべきことはこの楽器、オリジナルのネックとチューニングピンを持っていること。
ヴァイオリンはチョンバロほど改造や大きな進化もしていないので、オリジナル部分が多いと言える。
チェンバロはRavalement(ラヴァルマン・フランス語で改良・改造)という過去に作られた名器を良くも悪くも大改造(grand ravalement )だったり、ちょっと弄ったり(petit ravalement)と18世紀半ばにブームだった。


同じように18世紀末にチョンバロほどないにせよ、人は大きな音を求め、ヴァイオリンも改造されることがあった。
楽器を良く知らない人でも知っているような、ストラディヴァリもアマティもグァルネリのヴァイオリンも、大抵「駒」と呼ばれる楽器の中心に載っている(琴で言う「柱」)部品はオリジナルではない。むろん消耗しやすい弦も。(当時の主流は羊腸のガット弦)

大きな音量を求められると必然的に、駒の大きさ(高さ)を変え、弦を強いものにする。音域を広げたいならネック部分も取り替えることになり、張力が上がると言うことはチューニングピンも新しくしなければいけない。


と言ったような当時の風潮の中で、楽器のネックとチューニングピンがオリジナルと言うことは、かなり希少性が伺える。





ヴァイオリンという楽器には4本の弦が正面左側・低音からG線(ソ/g)・D線(レ/d1)・A線(ラ /a1)・E線(ミ/e2)と完全5度で張られている。

バロック時代まではこの基本的な調弦が共通しておらず、時々作曲家が曲によって任意の調弦の指示を書いている。
この調弦方法をScordatura(スコルダトゥーラ)と言い、調によって喜びや悲しみその他諸々を響き方で表してており、印象が変わる。
もちろん現代の調弦の仕方で楽譜を移調すれば、平均律なら異名同音として弾けるけど・・・微妙に違ってくる。
今回のコンサートはこのやり方を駆使した作品で、ヴァイオリニストはかなりのテクニックが必要。


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今回私の聞いた「Rosenkranz-Sonaten」(ロザリオのソナタ)は題名から分かるように、キリスト教での聖母マリアの生涯を受胎告知から、そしてキリストの受難・復活・戴冠までの15の場面の章に分け、最後にヴァイオリンの無伴奏曲で締められた、計16章の宗教曲になる。
そしてスコルダトゥーラは各章このような感じ。(Wikiからの転載)





上記15の場面は5章ずつ3つのGeheimnisse(神秘)に分けられる。
私はクリスチャンでないので若干アバウトになりますが、以下ドイツ語は当日もらったプログラムから、日本語訳はWikiから、太文字が今回の演奏したプログラムとなる。


    Freudenreiche Geheimnisse(喜びの神秘)

  1. Jesus, den du, o Jungfrau, vom Heiligen Geist empfangen hast.(聖母マリアの受胎告知)
  2. Jesus, den du, o Jungfrau, zu Elisabeth getragen hast.(聖母のエリザベト訪問)
  3. Jesus, den du, o Jungfrau, in Betlehem geboren hast.(主の誕生)
  4. Jesus, den du, o Jungfrau, im Tempel aufgeopfert hast.(聖母、主を神殿に奉献)
  5. Jesus, den du, o Jungfrau, im Tempel wiedergefunden hast. (神殿での主イエスの発見)


  6. Schmerzhafte Geheimnisse(苦しみの神秘)

  7. Jesus, der für uns Blut geschwitzt hat.(オリーヴ山での苦しみ)
  8. Jesus, der für uns gegeißelt worden ist. (鞭打ち)
  9. Jesus, der für uns mit Dornen gekrönt worden ist.(茨の冠)
  10. Jesus, der für uns das schwere Kreuz getragen hat.(十字架の道行き)
  11. Jesus, der für uns gekreuzigt worden ist.(十字架上での死去)


  12. Glorreiche Geheimnisse(栄えの神秘)

  13. Jesus, der von den Toten auferstanden ist. (主の復活)
  14. Jesus, der in den Himmel aufgefahren ist.(主の昇天)
  15. Jesus, der uns den Heiligen Geist gesandt hat.(聖霊降臨)
  16. Jesus, der dich, o Jungfrau, in den Himmel aufgenommen hat.(聖母の被昇天)
  17. Jesus, der dich, o Jungfrau, im Himmel gekrönt hat.(聖母の戴冠)



Schutzengel(守護天使)


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注)まさかこんな面白い話が聞けるとは思ってなかったんで、メモ無しの私のショボイ記憶力のみですので、多いに間違っているかも。


この楽譜が発見されたのは19世紀末ニュールンベルク(?とりあえずバイエルン)の公文書保管所で、20世紀初頭にビーバーの作品だと言うことが分かったは良いが、この全16章の曲の表紙が抜けており、宗教曲だが何のために作曲されたかは分かっていない。(特に最後の「守護天使」のみヴァイオリン独奏なので)
特徴的なのは各章の最初にその曲のモチーフとなる版画が添えられている。


デジタルライブラリへ
(クリックして行くとページがめくれ、オリジナルの譜面と版画が見れる)



今回、私が聞いた時には演奏されなかった(全部演奏するとCD2枚分)けど11章目の曲のスコルダトゥーラの指示は「真ん中の2本の弦を駒と駒とチューニングアジャスターでクロスさせること」。


どんな感じかと言うと、こんな感じ。(画像はWikiからの転載)





楽器としてこんなことして大丈夫なのかは分からない。
だが、色々なオタク もとい、専門家は調べた。
このクロスは十字架から来ている(ちょうど曲としてもイエスが復活するところ)、他にも各章の音符の数を数えたところ宗教的に関連した数字がでる(292とか97?うろ覚え過ぎて当たってないかも)とか、天文学者ケプラーの法則によって音符数が決められ云々・・・。


ちょっと突飛過ぎたのもあったりしたが、この「ロザリオのソナタ」の別名「ミステリー・ソナタ」。


謎の多いソナタだが、非常に魅力的。
あまりに調弦回数が多い、もしくは楽器をチェンジすることが多いので全曲演奏を1日ですることはなさそうなので、早速、iStoreで購入。。。
非常に良いです。


バ・ロッカー(バロック好き)にはお勧めです。






こんなにモリモリ書いておきながら、実はどっちのビーバーも全く関係ない内容の入試が来週末にあったりすると言う・・・。


何してんだ、自分。。。



Hildebrandt

Zacharias Hildebrandt(ツァハトリアス・ヒルデブラント)
オルガン製作者
1688年 Münsterberg 生 – 1757年10月11日 Dresden 没



車大工(Wagenbauer、多分時代的に馬車とか?)である父Henrichのもとで恐らく木工技術を学んだと思われる。
オルガン製作者の見習いとしてどこで学んだかなどは不明。しかし1713年には職人として遍歴(WanderschaftもしくはWanderlehre)のためFreibergへ行き、そこで1713年12月9日付けでSilbermannと修行契約を結ぶ。
若きHildebrandtはとても優れた能力を持ちあわせており、それによって修行中の収入を認められた。
しかし、そのためザクセンのオルガン製作者としてエルザス地方での仕事を自粛しなければならなかった。


1718年のRöthaのSt.Georgen教会のオルガンはSilbermann名義だが、Silbermannの元にいる職人(Geselle)として作品にサインをしている。


1721年にはマイスター作品としてLanghennersdorfのニコライ教会のオルガンを製作した。


1722年8月26日付けでFreibergの市民となり、9月14日にFreiberg近郊の村Langhennersdorfの桶屋の娘のマリア・エリザベータ・ダッハゼルト(Maria Elisabetha Dachselt)と結婚する。
同年、Silbermannと1713年の件(修行契約?)で不仲になり、Silbermannの警告を無視し、FreibergのSt.Petri教会のオルガンを修理したり、Leipzig近郊の村Störmthalの教会のオルガン製作もSilbermannの見積もりを下回る値段を提示し、制作権を得るなどしている。
このStörmthalでのオルガン製作の際J.S.Bachと知り合い、それ以降の作品のオルガン披露演奏会はBachが行う。






ちょっと長くなりそうなので、今日はここまで。






あ、Silbermannについていくつか付け加えてます。





Silbermann

Gottfried Silbermann(ゴットフリート・ジルバーマン)
オルガン製作者
1683年1月14日 Kleinbobritzsch 生 – 1753年8月4日 Dresden 没


1701年、Silbermannは当時フランス領だったStraßburgへ行き、兄のAndreas(アンドレアス)のパイプオルガン製作工房で弟子となり、そこで4基のオルガンを兄と制作した。
それ以前に恐らく木工関係の技術は習得していたと思われる。(父・Michaelは大工)
1708、1709年はフランス国内で活動をし、1710年に地元のザクセン州に戻り、同じ年にLeipzigのトーマス教会のオルガン奏者兼合唱団長であったJohann Kuhnau(ヨハン・クーナウ)の推薦でザクセン州にあるFreiberg(フライベルク)の大聖堂のオルガン製作を任される。(1714年に完成)
以後、生涯Freibergは彼の住処と仕事の中心地となり、中部ドイツにある46基のオルガンはSilbermannの作品と証明されている。


それ以外にも鍵盤楽器の制作も行っている。
Kurfürst Friedrich August I.(ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世)は1723年、「Cembalo d’Amour(チェンバロ・ダモーレ)」の発明により、15年間の保護期間を与え、同じ頃に宮廷および国定のオルガン製作家に任命した。


Silbermannはオルガンの鑑定家としても活躍し、オルガンの鑑定基準などに影響を与えた。(例えばAltenburgのオルガンやNaumburgのHildebrandtが制作したオルガンはBachと共に鑑定した)


Silbermannの弟子たちは彼の制作用法を継承していることが多い。
弟子Zacharias Hildebrandt, David Schubert, Johann Christoph Leibner, Johann Georg Schön, Adam Gottfried Oehme など



生涯独身だったため、彼の工房は甥(兄の次男)Danielが継いだ。
なお、「Silbermann-Orgel」(ジルバーマン・オルガン)と呼ばれる作品は、一般に兄Andreasと本人が制作した物をさす。





現在のオルガン製作者のなかでもSilbermannは評価が高く、「完璧」と言う言葉をよく聞く。
オルガンの木工部分、パイプなどの金属部分の仕事がとても丁寧で、オルガンに関しては本でしか知らない人(わたし)が見ても同意見。特に他の制作者との比較をすると、どれだけ彼の作品が美しいかが分かる。
設計に関して左右対称以外にも、上下左右、装飾などの飾りの比率までもが計算され尽くしており、非常に興味深い。しかもすごいのが、実際に誤差無く制作出来ている精度の高さ。感服だ。
オリジナルのパイプの音色の特徴としては、ドイツ語で言うと「男らしい」とか「力強い」と表現されているし、そのように記録もされている。現代人の好みからすると向かないみたいだけど、音色の変更は出来るらしい。


ピアノ職人でもSilbermannを知らない人はいないと思う。
下記「鍵盤楽器作品」にも参照しているが、Cembalo、Hammerflügel、Clavicordなどのピアノの原型になるような作品もオルガンに比べて数は少ないが制作しており、精度は高い。






<主なオルガン作品>(抜粋)

  • (制作年)・(場所)-------------------------------(教会)
  • 1711・Frauenstein-------------------------------Stadtkirche / 1728年の火災で焼失
  • 1714・Freiberg------------------------------------Freiberger Dom / 1738年に本人によって改変
  • 1715・Pfaffroda-----------------------------------St. Georg
  • 1720・Dresden------------------------------------Sophienkirche 1747年にレギスター改良、1945年空爆により破壊された
  • 1721・Rötha---------------------------------------Stadtkirche St. Georg
  • 1722・Rötha---------------------------------------St. Marienkirche
  • 1722・Chemnitz----------------------------------St. Johannis 1879年にAuligkへ移築。1958年以降はBad LausickのSt.-Kilian-Kircheへ。
  • 1726・Forchheim---------------------------------Dorfkirche
  • 1731・Reinhardtsgrimma-----------------------Dorfkirche
  • 1732−3・Etzdorf---------------------------------Dorfkirche 1865年Wallroda、1902年Bischofswerda、1919年個人所有、1939年以降はBremenのSt. Petri-Domへ。1994年にはオリジナルの設計に修復される
  • 1735・Freiberg------------------------------------Stadtkirche St. Petri
  • 1736・Dresden------------------------------------Frauenkirche / 1945年空爆により破壊された
  • 1737・Ponitz---------------------------------------Friedenskirche
  • 1741・Zittau----------------------------------------St. Johannis 1757年の7年戦争中、オーストリア軍隊により街を包囲され破壊された
  • 1741・Großhartmannsdorf ------------------Dorfkirche
  • 1743・Burgk----------------------------------------Schlosskapelle
  • 1748・Nassau--------------------------------------Dorfkirche
  • 1755・Dresden-------------------------------------Katholische Hofkirche 本人の死後、彼の甥とHildebrandt親子によって完成。1944年にパイプ部分のみ避難させるも第2次世界大戦中にその他の部分は破壊された

注)特に脚注のないものは現存、もしくは部分的に現存。その他、特別な名前のついてない「Dorfkirche」とは村にある教会のこと。





<その他の鍵盤楽器作品>(確認されているもの)

  • (制作年)・(楽器の種類)-------------------(現在の所有者, 場所/所蔵登録番号)
  • 1740頃・Cembalo-----------------------------Kunstgewerbemuseum, Schloß Pillnitz/Inv.-Nr. 37413
  • 1746・Hammerflügel--------------------------Schloß Sanssouci, Potsdam/Inv.-Nr. v 13
  • 1747・Hammerflügel--------------------------Neues Plais, Potsdam/Inv.-Nr. v 12
  • 1749・Hammerflügel--------------------------GNM(Germanische Nationalmuseum), Nürnberg/Inv.-Nr. MI 86
  • 1750頃・Clavicord-----------------------------Musikinstrumenten-Museum, Markneukirchen/Inv.-Nr. 1355

注)Clavicordに関しては不確かで、Silbermannの筆跡で作品に貼られている紙が少し残っている。可能性としてはSilbermannの工房で作られたものと言う認識で。
詳細はMusikinstrumenten-Museum Markneukirchenの該当ページおよび、参考文献から。






参考文献









以下のCDなどで、Silbermannのオルガンの音が聴ける。

















21.11.2010 korrigiert
27.11.2010 korrigiert








戦争

戦後、日本に生まれたわたしとしては、戦争は教科書かTVの世界のもののようなイメージがある。



日本は2発の大打撃でもって今後戦争はしないと誓った。
でもあの2つ目の悲劇は本来わたしの生まれた北九州に投下される予定だった。
わたしの祖父母がその時期どこにいたのか正確には知らないが、おそらく近郊であることは間違いない。



もしかして、あの日天気がよかったら。



もしかしてもしかして、わたしは今こんなことを書いている存在ではないのかもしれない。






第2次世界大戦後、教会のパイプオルガンを含め、ヨーロッパでは数多くの楽器が失われている。
世界大戦でなくても戦争で得られるものは、失われるものの比にもならないくらい少ない。
わたしはそう思う。






1943年12月4日の真夜中、Grassi-Museumは一度崩壊した。